節分の豆の”マズい”思い出
もうすぐ節分。今年は2月3日。
季節の行事は楽しい。
毎年、母が炒る香ばしい大豆の香りが家中に漂っていた。
歳の数だけ食べる。(我が家は年齢プラス1 )
炒った豆は、「福豆」と言う。福豆を食べて、邪気を払い、無病息災を願う。
でもなぜか我が家は、年齢の数だけ神棚に供えていた。
理由は分からない。子供のころは、それが当たり前の事と思っていたので理由を聞いたことはない。
たぶん今、両親に聞いても明確な答えはないと思う。笑
願いのかけ方は色々あると言うことだろう。笑
ある年、母が大豆を炒っていた。
美味しそうな香りが台所に広がっていた。
匂いに誘われるように母のそばへ寄って行くと、フライパンから飛び出た大豆が、一粒、転がっていた。
私は拾って、ポイと口に入れた。
瞬間、
母が、あっ!と、急いで何か言おうとした。が、
私が食べる方が早かった。
大豆には、いつものサクサクとした歯触りはなく、
口の中には、香ばしい味とは程い、
”苦く” ”生臭い” 味が広がっていた。(//∇//)
とっさに、ぺっぺっと吐き出した。
一瞬たりとも、一片たりとも口の中に残ってほしくなかった。
傍で母が苦笑いをしていた。
生の大豆だよ。
フライパンから飛び出たのではなく、炒る前に転がった一粒だった。
生の大豆は、
今まで食べた物の中で、一番マズかったように思う。思い出す度に、そのマズさは更新されているように感じる。
生の大豆には毒があり、腹痛などを起こすことがあるという。
見た目は、炒った大豆も、生の大豆も似てるかもしれないが、一口かじると分かります。驚くほどマズい。
今年も、もうすぐ節分。
美味しい豆を食べましょう (^▽^)